人間ちょっとMな話

 

よっこらせ、シャウヤです。 

 

前回の記事でプロトタイプ作成中と宣言していたRasPiで作るカメラ。

 

shawya.hateblo.jp

 

せっせと作っています!仕組みはある程度できていて、実験にも成功した。

 

 

ただ見た目がいかんせん冴えないサイボーグにしか見えないので

現在はボディを3Dプリンターで作製しています!

 

あとは有線を無線にしたり、「もはやRasPiじゃなくてよくないか」という問題に取り組んでいる最中です。bluetooth難しい。

 

 

本題に入りましょう。

人間ってちょっとMなんじゃないかって最近思っています。

 

朝大学に向かう途中、電車内を見渡すとスマホの画面に夢中になっている人、画面を指でスワイプしまくっている人を見かけます。その人が何をしているのかはわからないので、決してそれが悪いことではないのですが、はたから見てるとどっちが本体なのかがわからなくなる時があるんですね。

 

私にとってそれがとても興味深くて、わからない間にスマホに家畜化されているような気がするんです。

 

人間が狩猟から農耕にスタイルを変えた時も、実際は狩猟をしながら住む場所を転々としていた頃の方が食べ物の種類が多く栄養も豊富であったのに、人間は麦を育て定住することを選びました。

 

麦からしたら、「健康状態悪化させてまでどんどんと自分たちのDNA広げていってくれる人間最高!」ってなるんだろなあって思いました。

 

って考えると、当時の人間はわからない間に麦に家畜化されてたんかなーってなりました。

 

現実世界に目を戻すと、人間はみんな何かしらに家畜化されているものなのかなと思うようになりました。それが存在するものなのかしないものなのかは別として。

 

集団を形成するためには必要なことだったのかなって感じています。

 

私自身も家族であったり大学であったり、様々なものに家畜化されているのでしょうが

 

「これを創りたい」とか「こう生きるんだ」と自分なりの意志を持っている自分自身に家畜化されている人間でありたいものです。